数々の不定愁訴を乗り越え地域のママへの“伝え人” に変わった私― 助産師のひと言が私と子どもの人生を変えた ③

5.摂食障害、ヨガと出会った大学時代

大学生になった私は、新しいことにチャレンジしたく、スピードスケートのショートトラック競技部に入部。腰痛と精神的危うさを抱えながらも、「やりたいことをやりたい。不調で諦めたくない」という一心だった。しかし、ここでも皆のように滑れない。バレーボール以上に、頑張り方の分からない競技。

しかも、京都府で女子選手は私1人。誰に相談することもできず、心のバランスを完全に崩していった。ご飯が食べられず30kg台まで体重が落ち込み、そうかと思えば、数カ月で50kgまで一気に増加。体型が一目で分かるユニフォームに心が傷ついた。

そんなとき、リンクの外でひたすら“歩く” 練習をしている他県の選手に遭遇。「正しく歩ければ速くなる」と聞いた。スケートは体重移動で進む。筋骨逞しい欧米選手に、線の細い韓国選手がサクッと勝ってしまうのがセオリー。「そうか!」と体重移動で歩こうとするが全くできない。歩行という人間誰しもできることが私にはできない。目の前に現れた迷宮に、私の心は限界となった。

ある日、完全に起き上がれなくなり、大学はおろか、外に出ることすら怖くてできなくなった。何がしたいのか、何を食べて良いのかも分からなくなり、不本意ながらも、大学を休学。「人生これで終わった」と思った。

“器用” と育てられた私。思い返せば不器用すぎる人生なのに、それを肯定することになった現実に耐えられなかった。自分が今までやってきたことは、好きでやってきたのか、楽しいからやってきたのか分からなかった。どちらにしろ上手くいかない。ベッドから1歩も出られない。もう死んだ方がマシ…。

そんな日々が数カ月続いた後、ヨガを知った。通販で本を取り寄せ、DVDを見てもやる気は起きない。だけど「呼吸だけなら」と思って深い呼吸を意識してやってみた。繰り返すうちに心がスッとする感覚を覚えた。硬くなった体にゆっくりと尋ねるようにポーズを取ると、「あぁ、気持ちいい。楽だな」という感覚に衝撃が走った。初めての感覚だった。ずーっと“楽=悪” と思っていたことに気付いた。

自分の指はこう回されるのが好きなんだ。そんな体のことを1つ1つ知っていくうちに、今日はあれがしたい、あれを食べたいと、心の欲求が徐々に分かるようになり、外に出られるようになった。母と一緒にカウンセリングにも通い、精神安定剤も服用していたが、どちらも手放せた。「心の問題って、実は体なのかも?」そんな仮説が私の中に浮かんだ(図3)。

図3 22 歳。 太ってむくんで目はうつろ
図3 22 歳。
太ってむくんで目はうつろ

 

6.海外生活・就職

回復し復学した私はアイルランドへ1年間留学。帰国し就職活動を開始。多忙になるにつれ、ヨガの時間も減り、治ったと思っていた摂食障害がまた顔を出すようになった。「障害」と名が付いている通り、これは私が一生背負っていくものなんだ。仕方ない生まれつきの体質なのだと諦めた。

大手企業に総合職として就職してから、さらに体調を崩した。寮生活をしながら毎日決まった時間に出社し、ずっと座ってPC業務。周囲の人達が平然とこなしていることが、私はツラくて仕方なかった。でも「仕事だから」と諦観していたら、突然の腹痛に襲われ、卵巣嚢腫で手術を受けることとなり休職。虚無感に襲われ、手術後からさらに体調が悪化。「病気だから治療する。そうすれば全快する。そうではないのか?」とすがる思いで近くのカイロプラクティック治療院に通院。すると、また体も心も軽やかになった。

その後、結婚が決まり東京本社へ異動、夫の勤務地の千葉へ引っ越した。初めての満員電車での通勤、深夜までの残業、慣れない家事。またハードな生活に逆戻りし、体のことは後回しの日が続いた。