数々の不定愁訴を乗り越え地域のママへの“伝え人” に変わった私― 助産師のひと言が私と子どもの人生を変えた ④

Ⅱ.第1子妊娠

25歳で第1子を妊娠。すぐに悪阻が始まった。吐き気が強く乗り物に乗れないどころか、自分が立って歩くだけで酔ってしまう。妊娠悪阻の診断書をもらい一旦休職。ところが、症状は続いているのに、「数値として現れないと診断書は継続して出せない」と言われ、数週間後には復職。何度も途中下車しながら、会社への往復1時間半を通勤した。

申し訳ない気持ちはいっぱいだが、全く生産性が上がらない私。そんな私に上司が「妊娠は、病気じゃないからね」とひと言。会社の9割は男性。女子を総合職として採用後まだ数年の企業の中での認識は、この言葉が表す通り。「妊娠していても社会人なんだから、仕事を優先しなければいけない」と無理をしながら通った。そんな妊娠25週、職場で急に破水感があり、急いで帰宅。かかりつけ医に駆け込むと、救急車で総合病院へ搬送。絶対安静で4週間入院。なんとか退院でき、自宅安静の間に「トコちゃんベルト」が切迫早産に良いという記事を目にして購入。半信半疑で自己流で着けたため、ぎゅうぎゅうに締めすぎて不快。ほぼ着けていられなかったが、同封されていた資料の「天使の寝床」は気持ち良さそうと感じ購入した。

 

Ⅲ.第1子出産

38週で破水から始まり分娩所要時間10時間。子宮口8cmからなかなか開かず、ベッドの上で耐えるのみ。上手く息めず児心音は低下。馬乗りになられてお腹を押され、苦痛そのもの。頭の中は“早く終わって欲しい” ばかりで、2,500g、男児をやっと産み終えるとぐったり。初めて抱いた我が子にも感慨ゼロ。

終始ビックリ顔でよく泣き、ピンピンに体が伸びていた子を上手く抱けず、授乳もできない。「目線を合わせて」と言われると、胸が奥まり子は反って泣く。退院を心細く思っているときに、助産師さんから「赤ちゃんを丁寧に扱ってね。首を大事にね」と言われたことが心に残った。

自宅に帰ってからは何をしても泣き止まず、24時間ずっと授乳していたら乳首が切れて流血。実家も遠く頼れる人もなく、イライラが募りすぎて、泣いている子を放置してトイレに立て籠ったことも。児童館や産後ヨガなどに参加しても、あやすのに必死で1人だけ腰を落ち着けられない疎外感を味わった。

ママ達のいろんな抱き方を目にするうちに、ふと「抱っこの仕方ってどうするのだろう」という疑問が湧いた。ネットで情報を検索してみると、また「まるまる抱っこ」を推奨する助産師さんのブログにヒット。「首を大事にしてね」という言葉に通じた。

天使の寝床の中でも長男の背中はピーン(図4)。「だから“まるまる横抱き” でもムズがって嫌がったのかな?」と、試行錯誤で抱っこを変え、自己流で包んでみたり、スリングを入手して抱いてみたり…。何となくだが、少し穏やかになってきた気がした。

図4 天使の寝床の中の第1子
図4 天使の寝床の中の第1子

 

だけど、周りの皆は縦抱っこ紐でぶら下げている。誰も私のような子育てをしている人がいない。半信半疑、自問自答の日々が続いたが、3カ月のときに思い切って船橋の東敬子助産師に来てもらった。スリングや“おひなまき” の練習など、今までの自己流とは全く違い、ちゃんと指導してもらうことの大切さを学んだ。「ここが凝ってますね。こんな風に背中をさすってあげてね」と、背中を撫でられると、そのまま力が抜けた状態で抱っこされる長男。「赤ちゃんも体が凝るんだ! 赤ちゃんが泣いている理由は、体がツライというサインなんだ!」と気付いた瞬間だった。

“おひなまき” にしてスリングに入れたら寝ると分かり、それからは育児全てが楽になり自信がついた(図5)。反り返って泣けば体を観察。体を通して赤ちゃんの意思を見て取れるようになった。それまでは授乳したら寝るお世話人形くらいにしか捉えていなかった自分を反省。自分と同じように、硬いところに寝かせられれば背中はツライし、縦抱きで熟睡できるはずがないと、想像力を働かせられるようになった。「赤ちゃんはこんなもの」「生後何カ月になったら始めましょう」などの情報に従うだけでなく、「自分がこの子だったらどう感じるだろう」と考えるようになった。

図5 第1子3カ月
図5 第1子3カ月

 

そんな息子の変化は周囲の反応も変えた。懐疑的だった実母は一気に協力体制に。だが、友達から「その布(スリング)は何が良いの?」などと尋ねられても答えられず、「そんなこと必要なの?」などと突っ込まれると、どう言えばいいのか…。怖くて逃げていた。