数々の不定愁訴を乗り越え地域のママへの“伝え人” に変わった私― 助産師のひと言が私と子どもの人生を変えた ⑥
Ⅴ.第3子妊娠~出産、退職・開業
娘が1歳4カ月のときに第3子を妊娠。会社の対応も時代と共に変わり、千葉の事務所に異動、体調の考慮も増えた。妊娠初期から後藤裕子助産師の整体へ通い、吉川元子助産師のトコヨガのレッスンを受けに行くのが楽しみになった。
トコ企画のトコヨガ入門セミナーを受講、私のフラットバック・ストレートネックは、周囲と比べてもかなり酷いことを、ようやく理解できた。体についての知識不足は否めないが、自分がやって良かった操体法・育児法なら伝えられるのではと考えるようになった。そうして、第2子育休中に始めたヨガ教室は好評で、土日のみの開催では抱えきれなくなっていた。
ところが、ヨガを教えようにも全くできない人が多くなり、悩むことが増えた。周りを見渡すと、自分の幼少期と同じように転びやすく自由度のない動きをしている子の多いこと! この状況に気付いてしまったら、目をつぶって会社員をしていられなくなった。
有難いことにお客様達からも「もっと開催してほしい」との声が多くなった。東京に行けば、教室も整体も受けられると伝えても、「子どもを連れての移動は難しい」など、千葉市内における“場” を望む声が次第に大きくなった。「もうこうなったら、私がやるしかない」と一念発起し、産休を取らずに退職。脱サラしセラピストとして開業したのが2年前だった。
第3子は、40週、3時間半で出産。娘のときと違い、ゆっくりと順を追って陣痛が進むのが自分でも分かった。陣痛室では、合間に腰を上げてネコの操体法など色々、体の要求に従って動いた。しかし、助産師さんに「腰を上げたらお産が進まなくなるから、そんな体勢をとらないで!」と止められた。だけど、私の体は要求していて止まらない。
やがて、大きな波が来た。「そろそろです」と自らナースコールして分娩台へ。痛みのない大きな陣痛2回で生まれた。私からは小さい子しか生まれないと思っていたのに3,400g 男児。しっかり自分の筋肉を使って“産みきった感” のあるお産だった。出血ほぼゼロ、会陰切開なし。痛い感覚はなく、直後から「なんだこの気持ち良さは! 今すぐにもう1人産みたい!」と思った。後陣痛はないのに「痛み止めはいらないの?」と何度も聞かれ、断り続けた。
次男は出生直後から体温が高く、体温低下防止用の帽子は外された。すぐに母乳を欲しがり、お腹が膨れるまでたっぷりと飲み、長時間ぐっすりと眠った。黄疸も湿疹もほとんど出ず、新生児期から自分の欲求が強く、生命力を感じる場面が多々あり、大きくなるまで夜泣きもほとんどせず、寝返りも上手にしながら、規則正しく眠った( 図8)。

定期的に母子整体や産後のトコヨガに通いながら、産後3カ月で開業。保育園には預けず、11カ月まで一緒に活動した。無駄泣きせずいつもご機嫌、“かわいい宣伝マン” の役割を果たしていた。お客様達はその様子に驚き、口コミが広がった。